パレスチナ・アマル

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崖っぷち看護学生から社会起業家へ。代表 北村の日々の奮闘をブログに載せています。どうぞご覧ください。

パレスチナや展示会などで撮った、日々のスナップです♪

北村がアラブで出会った含蓄に富んだことわざや日々思うことを徒然なるままにつぶやいています。

NHK WORLD Arabic がアマル主催の展示販売会にて代表 北村を取材し、世界に向けて発信して下さいました。(2016/2/21・28)

077-514-7136

(平日 9:00-17:00)

Brand Book ~ラスト・カフィーヤ ブランドブック~

 

パレスチナ織物“ラスト・カフィーヤ”通販 パレスチナ・アマル 

◆Brand Book作成への道

NGO〈パレスチナの平和を考える会〉機関紙”ミフターフ”寄稿文

 みなさん、こんにちは。パレスチナ・アマルの北村です。

 私は2015年7月下旬から8月上旬にかけて、パレスチナのヨルダン川西岸地区を訪れました。

 

主な目的は、「ラスト・カフィーヤ」のブランドブックを作るための写真撮影。アマルでは、【パレスチナに唯一残る工場で紡がれる最後の織物の物語を伝えたいby 北村記世実(パレスチナ・アマル)】というプロジェクトを、クラウドファンディング・サイト「READYFOR?」で行いました。クラウドファンディングとは、共感頂いた支援者から支援金と想いを集め、みんなで夢を実現しようというものです。

 

そして「ラスト・ カフィーヤ」とは安価な外国製にシェアを占められ地場産業が崩壊していくなか、唯一残った織物工場で作られた最後のパレスチナ製カフィーヤ(アラビア語ではクフィーエ)のことです。ブランドブックを作ることでその魅力を広くお伝えし、存続を守りたいという願いに基づき、プロジェクトを立ち上げました。

 

 最初どのような反応が返って来るのか心配でしたが、パレスチナの職人さんに心を飛ばし、なんとか最後のパレスチナ製織物の工場を護りたいという思いをたくさんの方々から共感いただき、とても感動いたしました。結果、104人のサポーター様から目標金額の113%「986,000円」のご支援を頂き、ブックづくりがはじまりました。

 

 現地に赴き、まず写真撮影をお願いするため、写真家であるハイサムのいるビリン村を訪れました。どこからお金を工面したのか、私のためにマクルーバを作って待ってくれていました。

 

 ハイサムは二年前に、アマルの看板娘である通称「アマルちゃん」を撮ってくれた写真家です。美しく成長したと聞く彼女を、再び撮らせてもらえれば、と思っていたのですが、ちょうどウェディングシーズンで隣町に行っているそうで、会うことは叶いませんでした。が、アマルのショップ カードやパンフレットに自分の写真が使われていることを、とても喜んでいるとのこと。そう聞いて、とても安心しました。アマルちゃんも、もう13歳。シャイになったから、多分撮影はさせてもらえないだろう、とハイサムから聞き、それも当然だなと思いながらも、やはり少し残念でした。

 

 さて、ビリン村から「ラスト・カフィーヤ」の工場があるヘブロンへ。セルビスを乗り継ぎ、到着するとぬっと門から老人が覗いていました。創業者である一族の長です。写真撮影させて! と伝えていたので、みんなが入口のソファに座り待ちかまえてくれていました。

 

 二年前とくらべると、がらんとして観光客がひとりもいません。併設している販売スペースにも商品がなくて驚きました。いよいよ工場が傾いているのか、と心配になって聞くと「夏は暑くて観光客が来ないんだよ」ということでした。その字面通りだったら、良いのですが。

 

 本当は一年前にも訪れる予定だったのですが、イスラエルによる大規模な攻撃が行われていたので、それも叶いませんでした。「今は危ないし、飛行機が飛ぶかもわからないから、来ない方が良いよ」という工場のオーナーの進言によるものでした。

 

でも、その秋に百貨店の期間限定ショップ出展が決まっていたので、どうしたものかと悩んでいたところ、イスラエル兵が街にいないタイミングを見計らい、職人さんが荷物をベツレヘムまで運んで日本に送ってくれました。

 

「あなたの身の安全の方が大切だから、無理しないでね」と伝えていたのに。とてもありがたくて、届けられたカフィーヤを前に涙ぐんでしまいました。

 

 ハイサムに一通り工場の写真を撮ってもらってから、その周辺の写真を撮りに旧市街に行きました。旧市街はゴーストタウン化が進んでいるようでした。二年前に来たときは、もっと現地の人の往来もあったと思うのですが、まるで人通りがありません。まばらに外国人観光客が見えるだけでした。

 

 旧市街には、女性団体が運営しているショップがあり、ヘブロンの女性たちが作ったパレスチナ刺繍の販売をしています。そこに立ち寄り、話しを聞いていると、目の前をイスラエル兵たちが軍靴を響かせながら通り過ぎていきました。その威圧的な態度に口を閉ざすと「毎日、何回も通るのよ」と女性団体の代表は顔をしかめました。

 

ヘブロンは去年、イスラエルによって一時完全封鎖されていたことがあります。ガザへの大規模な空爆のきっかけにもなったイスラエル人入植者少年3名が行方不明になった事件。その犯人がヘブロンにいるのでは、ということで、イスラエル軍はへブロンとその周辺の村全てを封鎖し、全民家を家宅捜査したそうです。ヘブロンに来る道中に、その三人の写真が大きく貼られていました。パレスチナの状況は、二年前よりも悪化しているようでした。

 

他のヘブロンの女性団体の関係者に聞くと、女性たちの暮らしぶりは以前よりきつくなっているけれど、刺繍を作り販売できていることに幸せを感じながら商品を作っているのだということでした。

 

ハイサムとビリン村に帰ると、ハウラが刺繍製品を準備してくれていました。今回のクラウドファンディングの引換券(刺繍のポーチ)を作ってもらうよう依頼していたのでした。それと、裏面に「アマル」とアラビア語で刺繍を施したクッションキーホルダー100個もお願いしていました。

 

100?! 作るけど、もっと早く言ってよ。お互いのために」と、苦笑しながらも、約束の期日までにハウラはひとりで作ってくれました。

 

 ハウラは2年前とは見違えるようでした。その時の彼女は、まだ幼い次男カルミーを亡くし、いつもその子に想いを馳せているようでした。

「あなたはいいな。エルサレムでも、日本でも、どこにでも好きな所に行けるから。仕事もあるしね。でも、私は何もできないわ。どこかに行く自由もないし、ずっとこの家にいるだけよ」と遠い目をしていたハウラ。でも、あれから刺繍を作ることに生きがいと誇りを見出したようでした。「わたし、刺繍をビジネスにしたいの」と目を輝かせるハウラの溌剌とした様子に、とてもうれしくなりました。

 

 そうだったんだ。アマルを立ち上げた時の自分と重なりました。

 

 私もあんな目をして、嬉々として働いていたのに、と恥ずかしくなりました。日々の忙しさに紛れて、いつのまにか初心を忘れていたような。なんのためにアマルを立ち上げたのだろう。

 

ハウラはどんな商品が日本のお客様のニーズにあうのか、どんな模様が好みなのか、とても熱心に聞いてきました。ラスト・カフィーヤの職人さんたちも、色んな色柄のものを作り商品開発に励んでいます。ブランドブックが完成した今、より多くの方々にラスト・カフィーヤの魅力をお届けできるように、そして販売を通して、パレスチナの伝統や文化を広くお伝えできるようにがんばります。

                        (2015年冬号)